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普通に野望説でいいと思います。 ただ入念に計画していたかというとそうではなく、 様々な条件が、光秀の背中を押したのだと解釈しています。 もし彼が関東・北陸・中国のどこかで奮闘していたら 変は起こさなかったのではないかと。
・・・その1って? |
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私も滝野川さんと同意見です。 どちらかというと条件が良すぎて秘めた野心が目覚めたという形に思えますね。
光秀の視点としては信長に対しては恩義>怨恨だと思いますね。 出世レベルとしては秀吉と同じ程度といっても良いですし。
それと信長に付いていくことに限界を感じたというのもあるかもしれません。 下手をすると佐久間信盛や林秀貞と同じようになる可能性もあったかもしれませんし(光秀は優秀な人間ですがミスを犯す可能性もありえますし) |
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>> それと信長に付いていくことに限界を感じたというの >もあるかもしれません。 > 下手をすると佐久間信盛や林秀貞と同じようになる可能>性もあったかもしれませんし(光秀は優秀な人間ですがミ >スを犯す可能性もありえますし)
では、恐れというのもあったわけですね。
そして変を起こしてしまったからには、後には引けないっていう感じでしょうか。
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>条件が良すぎて秘めた野心が目覚めたという形
だと思います。 みなそれぞれ恩義や恐怖などの様々な感情の中で仕えていたに違いなく、偶然光秀に謀反のチャンスが訪れただけかと。
じゃあ他に誰だったらやり得るかというと議論の余地はありますが。
>出世レベルとしては秀吉と同じ程度
ドラマなんかでは秀吉が出世頭のように描かれることが多いですが、 実際滝川、松永、明智、荒木あたりも相当なもんです。 |
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> ドラマなんかでは秀吉が出世頭のように描かれることが>多いですが、 > 実際滝川、松永、明智、荒木あたりも相当なもんです。
それは知ってます。当時としては、秀吉よりも上だったと。
では、光秀以外は謀反を起こせないということになりますか?
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そうですか?僕は信長に対する怨念の方が強いと思います。 光秀は非常に真面目ですから信長からすると格好の虐め相手ですし… 何故光秀という有能者を虐めの対象にしたかと言えばそこは織田信長という人物だからでしょう。 そもそも光秀に野心があったなら凡庸な義景に仕えていた時に謀反を起こしていただろうし…。 野心によるものなら、 サルの秀吉の動向にもっと気をつけながら謀反を起こす時期を考えると思いますし、信長のような知恵者ならその野心に気付いていたはずです。 |
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> 義景のときに謀反 いやいやこれは絶対に無いですよ。 いくら義景が凡庸だからといって家臣には優秀な人物も居ますし、 当時の光秀が動かせる兵はかなり少ないです。
それと人間の野心というものは時と共に変化していくものです。 例えば若い時に野心が無くても晩年になったら野心が出るように・・・ 環境によって人間は幾らでも変われるのです。 他人によっても・・・
それと信長は光秀の野心には気づけなかったと思います。 当時の信長を考えるに最早、統一後の治世について夢を馳せていたような物が感じられますし、 荒木や三木の前例を考えてまさか謀反を起こす者が居るとはそれこそ夢にも思わなかったかと・・・
更に光秀は信長を討った後、織田旧臣との戦で十分勝算があると思っていたのだと思います。 光秀の視点から考えると
羽柴秀吉⇒毛利と交戦中 常識的に考えれば毛利に釘付け 畿内を安定させた後に毛利と挟撃すれば良い 柴田勝家⇒上杉と交戦中 上杉に釘付け 背後を付かれる危険性を考えると大軍は出せないはず 畿内を安定させた後に上杉と挟撃すれば良い 滝川一益⇒関東管領職の足かせを含め直ぐには動けないはず 兵も多くは無い 丹羽長秀⇒単身では不可能なはず(兵力的に) 織田信雄・信考⇒双方単身では不可能なはず 兵力不足 徳川家康⇒完璧に袋の鼠なので討てるはず 筒井順慶⇒所領安堵の執成しの関係で味方になるはず 細川藤考⇒婚姻関係があるので味方になるはず
見事なまでに予想がはずれ(筒井・細川は中立 秀吉の大返し 家康の伊賀越え)敗れたというわけです。
「本能寺の変」自体が信長にとっても光秀にとっても想定外の事態だったのだと私は思いますね。
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> サルの秀吉の動向にもっと気をつけながら謀反を起こす>時期を考えると思いますし、信長のような知恵者ならそ >の野心に気付いていたはずです。
気づいていた上で、虐めていたとも考えられますよ。
紹運さんは、野望説ですよね? 確かに書かれている通りだとすると、 間抜けな人だとも取れますが。
では、もし逆に成功していたら・・・・。
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信長って基本的には寛大な男なんですよ。 例としては本願寺に宗教的な弾圧を殆どしなかったことと一応、松永久秀を降伏させようとしたことと・・・ 弟の件だって一度は許してますし。 信長自身は大規模な裏切りとしては浅井の例や弟の例ぐらいでしたし。 基本的には「裏切り」や「謀反」に耐性が無かったのではないかと思っております。 あれほど勢力を広げた後に裏切る者が出るとは想定外だったのではと思ってますね。
光秀は間抜けでは無いです。 秀吉が例外だったのです。 当時の一般常識で考えればあんな速度で西国から帰ってくるとは思いませんし、 筒井・細川に関しても光秀の「常識」で考えれば味方になるはずだったんですよ。 |
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> 光秀は間抜けでは無いです。 > 秀吉が例外だったのです。 > 当時の一般常識で考えればあんな速度で西国から帰ってくるとは思いませんし、 > 筒井・細川に関しても光秀の「常識」で考えれば味方になるはずだったんですよ。
確かにそうですけど。 でも、細川は味方につかなかった。今後のことを考えてでしょうね。野望説が有力ですかね。 では、その後、天海になったという話は信じますか。 いえね、野望説だとすると、天海になって、また世間に出てくるかなと。
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天海説は信じられません。 というよりも近年、それを否定する証拠が出ました。
天海が書いた書状と、光秀の書いた書状の筆跡鑑定が行われた結果、 「限りなく近いが別人」となりました。 光秀では無いと言う事は少なくとも証明しました。 しかし光秀の近い親戚である可能性は高いようです。 |
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>揺藍さん >では、光秀以外は謀反を起こせないということになりますか?
ではなく、光秀以外の誰でも謀反の可能性はあるということです。
>氏やずさん >光秀は非常に真面目
それはドラマ中でのイメージではないでしょうか。 やはり清濁併せ持つ一流の武将だったと思います。
大なり小なり野望というものは誰でも持っているものです。 そこへ天下取りのチャンスが転がってきた訳です。 馬鹿なら見逃すし、臆病者なら躊躇するでしょう。 それを光秀は果敢にトライしたわけです。 結果的には失敗しましたが。
怨恨もゼロではないでしょうが、 恐怖や憎悪は他の武将もそれぞれ抱えながら生きていたと思います。
言い方を変えると、本能寺のチャンスがなければ、 あのまま織田家の重臣として一生を終える可能性も十分にあったと思います。 |
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>ではなく、光秀以外の誰でも謀反の可能性はあるという >ことです。
あ、そうか。なんか変だなと思っていましたが、勘違いを。 >天海説は信じられません。 >というよりも近年、それを否定する証拠が出ました。
はい、知ってます。ていうか、それが本当だったら、つまり仮定の話です。 一度、野望に敗れた人がまた世間に出てくるのかなと思いまして。
>大なり小なり野望というものは誰でも持っているもので >す。 >そこへ天下取りのチャンスが転がってきた訳です。 >馬鹿なら見逃すし、臆病者なら躊躇するでしょう。 >それを光秀は果敢にトライしたわけです。 >結果的には失敗しましたが。
私も、野望は誰でも持っているものと考えてます。 野望を露にしている人が、ほかより、かなり危険視されるわけですし。秀吉にだってあったかもしれませんし、勝家にだってあったかもしれません。ただ、チャンスかどうかなんですよね。
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色々議論されていますが、僕は、黒幕説だと思います。勿論、光秀自身にも謀反の考えがあった上でですけどね。 もう一つ、天海説は、僕自身、信じたいですね。(笑) |
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> もう一つ、天海説は、僕自身、信じたいですね。(笑)
天海説が真実だったなら、本当に興味深く、面白かったんですけどね。(笑)
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> 天海説 真実だったら・・・と思ってしまうことはやはり多いですね。 それだと徳川が裏で何かしてたのではないかと推測してしまいそうですし。
> 野望 私は逆に日頃静かな人物がキレると恐い原理を支持するタイプですね。 いかにも野心がありますよ、って人は利害重視で動きそうなので安定した利を与えておけば逆に安全な気も・・・ とはいっても人間の性質上、「満足」できないので更に利を追い求めということになる可能性もありますが。 ちょっとスレ違い的な精神論なのでそろそろ自重します。 |
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> > 野望 > 私は逆に日頃静かな人物がキレると恐い原理を支持するタイプですね。
???すみません、意味がよく分からないのですが。
>光秀自身にも謀反の考えがあった
では、連歌会でのことは、謀反を考えての歌だったのでしょうか。
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私は武田攻めがきっかけだったと思います。 理由は、秀吉の高松城水攻めでのこと。 単独でも落とせた高松城をわざわざ信長到着まで待とうとしたことです。 成果を信長の名前で残そうということ。
武田攻めや先の長篠の戦いは光秀の起案が大きかったと思います。 その結果、光秀は「骨を折ったかいがありました。」といいました。 でも、信長は自分の手柄、もしくは織田家としたかったのでしょう。 そこでそんな光秀にひどい仕打ちをしたと思います。 その結果、光秀は謀反を起こしたと思います。
表向きは、武田攻めは信長の実力で出来た事となりましたが、 実情を知る一部の重臣や機転の利く武将なんかは 重要な手柄は信長の名前で残さないといけないんだなぁ と思ったのではないでしょうか?
今でも、新開発をしてもその人の特許で残るのではなく 企業の名前で残ることが多いから これに不満を持った人の爆発なのではないでしょうか?
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あと、追加で秀吉の中国大返しのこと 上記の続きですが、 あれは、早く信長を早く到着させるために 道中を整備していたのではないでしょうか?
高松城がギリギリ落ちるタイミングだから 早く信長に到着してもらわないといけない。 そのために用意していたのではないでしょうか? 結果的には、秀吉のためになったのですが・・・
また別の考えですが、秀吉は金ヶ崎の戦いで殿をしています。 その時の自分の状況や、先に早く逃げた信長のことから得た経験を元に 撤退の重要性も考えていたとも思います。 戦いながらの撤退や、戦わないですばやく撤退できる状況など、いろいろ研究していたとも思います。 もしかしたら、手取川の戦いも裏では、 戦わないですばやく撤退したらどれだけの時間とどこまで撤退できるのか考えていたりして・・・? あくまで個人の考えですが。
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> > 天海説 > それだと徳川が裏で何かしてたのではないかと推測してしまいそうですし。
徳川が何かをしたのではなく羽柴が何かをしたという考えを持ってもらいたいです。 秀吉は何のために信長を呼んだなでしょうか。それと整備された道。それと本能寺に泊まることは家臣としてある程度予測ができます。後から考えると、すべてがツジツマが合います。 それと、誰が黒幕かというと朝廷の近衛前久ですよ。秀吉は、信長からある期間京都を任せられています。その間に仲が深くなっても可笑しくありません。それと同時に、信長への不満と幕府復活を夢見る光秀に話を持ち掛ける。そして機会を待つ。それが本能寺であったのです。 後の山崎合戦で細川と筒井が光秀の要請に応じなかったのは近衛前久と秀吉、両方からの圧力があったからではないでしょうか。 あくまでも、個人的な意見ですがね(笑) |
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> それと、誰が黒幕かというと朝廷の近衛前久ですよ。秀吉は、信長からある期間京都を任せられています。その間に仲が深くなっても可笑しくありません。それと同時に、信長への不満と幕府復活を夢見る光秀に話を持ち掛ける。そして機会を待つ。それが本能寺であったのです。
一理あります。大和の蝮さんは黒幕説ですか? この意見を伺うと・・・・。 公家も考えられますが、可能性としては低いのでは?
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> 武田攻め 武田攻めに関しては殆どが徳川家康の功労かと思います。 確かに光秀も武田攻めには何度か加わっていますが光秀自身は丹波・丹後方面の攻略の指揮官ですし、 武田攻めの指揮官は家康です。 それと天目山周辺の戦いに関しては国人大名の集まりの「武田連合」が自動で瓦解したという(小山田など)ことになりますし。
> 高松城水攻め 確かに異常なほどの姫路への帰還スピード。 毛利との停戦の鮮やかさ、その後の領土管理に関しては謀反の黒幕の可能性も「無」ではないです。 しかし、非常に確率が低いことには変わりありません。
> 近衛前久 近衛前久は基本的に信長とは友好的です。 どうも最近のドラマでは彼が黒幕に仕立てあげられていますがこちらも可能性は無に等しいです。
> 筒井・細川 単純な道理だと裏切り者に付く奴はいないということです。 筒井も細川も明智の家臣ではありません。 恩義や関係はあっても裏切り者に加担するほどでは無いです。
私は突発的野望説支持ですね。 黒幕説は考えるには楽しいですが史実を見てしまうと・・・
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別に大返しはそれほど奇跡的というわけでもないので、大仰な事前工作がなくても、 出来ないという部類のものではないですよ。
以前にも書いた気がしますが、高松城から姫路までは75Km前後。 成人の通常の歩行速度が4km/h程度。 つまり急がなくても20時間歩けば着くわけです。 この間の街道は完全に制圧下にありますので。 秀吉自身は2日で姫路に到着してますが、実際に部隊が追いついたのはもっと後なので、 強行軍ではありましたが、1日の行軍時間を少し伸ばせば、普通に達成できますよ。
むしろ奇跡的な速度といえるのは賤ヶ岳戦で見せた方かと。
私も本能寺は突発的なものが大きいと思いますね。 記録に残る限りでは、事前の計画や交渉が無さ過ぎます。 |
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黒幕説は、無理があると思いますよ。やっぱり。
誤解されないように、私は、野望説だと思っています。
>突発的野望説 つまり、いきなりの野望ってわけですか。 まあ、家臣も止めたくらいですから、野望説ですね・・・。 |
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秀吉の本気の進軍スピード(下準備もした状態)が賤ヶ岳の美濃方面からの帰還と考えると 中国大返しは下準備をほとんどしていなかった状態で急いだ状態と考えられますね。 どちらかというと毛利との和睦の手際の良さの方が評価されるべきかな・・・と。 |
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野望説支持なら最初から書けばよろしいのに 一番上の質問のところに書いておらず 後の返信もほとんど根拠を示さずに書いておいて 紹運さんや韋孝寛など有力な人が野望説を支持すれば 風見鶏みたいに >>黒幕説は、無理があると思いますよ。やっぱり。 >>誤解されないように、私は、野望説だと思っています とか言うのはせこいんじゃないですか? |
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。 > どちらかというと毛利との和睦の手際の良さの方が評価されるべきかな・・・と。
・・・これって、秀吉では。
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後から考えれば怪しい、という事例は沢山あります。 しかしどれも推測の範囲ですね。 勿論単独説/野望説も推測ですが、消去法でいくとこれになります。
共犯者(支援者、黒幕)と光秀のどちらが言い出したにせよ、謀議が洩れないはずありません。 よほど昔から面識がありウマが合う関係で無い限り無理です。 誰かが光秀にもちかけた時点で、断るかその場で殺してしまうか後で信長に報告するかのいずれかになると思います。 その逆も然りです。
また事変後の孤立感を見る限り、やはり単独説が有力だと思います。 でなければ「貴様裏切ったなこのやろう!」と光秀がキレる場面が当然あるはずです。 |
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> どちらかというと毛利との和睦の手際の良さの方が評価されるべきかな・・・と。 文章をよく読めばわかりますが これは韋孝寛様が中国大返しは距離的に奇跡ではないと いう説明を聞いて、紹運様が秀吉の功績は 大返しで戻ってきた距離よりも、毛利とすぐに和睦した その手際の良さを評価したものなので 秀吉なのは当たり前です。
私自信としては、本能寺はやはり光秀単独での 行動だと思います。光秀を動かすほどの黒幕というのは 考えにくいですし、何よりも事後があっけなさすぎます
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野望説が多いですね。
>大返しで戻ってきた距離よりも、毛利とすぐに和睦した >その手際の良さを評価したものなので >秀吉なのは当たり前です。
いえ、私が言ってるのは、光秀のことを議論しているのに、秀吉の評価が出てきたから変だなと思っただけです。
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> いえ、私が言ってるのは、光秀のことを議論しているのに、秀吉の評価が出てきたから変だなと思っただけです。
お言葉を返すようですが、最初の議論提示から 色々な返信が生まれ、それに返信するうちの議論以外の ことについて書かれるのはよくあることです。
揺藍様自信も他のスレで 戦国時代に何を持っていくかという議論に対して 私は籠にのりたいとか金平糖は好きじゃないなどなど 主題に関係のない返信をよくされていますよ。
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私は基本的に野望/単独を支持しますが、 実際どのタイミングで利三達に告げたのかはちょっと想像がつきません。 かなりぎりぎりだとは思いますが。 或いは、そもそもの言いだしっぺは左馬助か誰か?という気がしなくもないです。
「敵は本能寺にあり」はセリフとしては格好いいけれど 敵=信長であることを兵に言ってしまっていいものかということも良く分からないですね。 敵=家康と解釈したという話もありますが、 具体的に光秀が「家康を討つ」といって嘘をついたという記述は残っていないようです。
兵を二手に分けて信忠に充てなかったのは、 迂闊か、二人とも本能寺にいると勘違いしたのか、初めは信長個人しか殺すつもりは無かったのか、 その辺も謎です。 |
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はい、すみません。ただ、疑問に思ったものですから。 続けてください。深い理由はありませんから。
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ケンカになりそうだから、話題変更にこういう説で横槍(`△´)oΨグサッ!!
本能寺の変は、竹中半兵衛の稲葉山城奪取みたいに主君を諌めるための抗議だったりして^^
当時の信長は、荒木村重などの謀反があったり、佐久間信盛ら重臣を追放したりしていました。 今度は、光秀にもそういう態度が向けられてきました。 そこで、同じことしてみようと・・・ 美濃出身・・・ 斉藤家に仕えていたし・・・
が、信長は予想と違って自害してしまった。 さらに、情報も早く、周りが光秀に敵対してしまったと。 そして、秀吉に敗れると・・・
現政権が、前政権の批判、非難をするので、 光秀のとった行動も秀吉に都合がいいように書き換えられたと・・・
なんてのはどうでしょうか?
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それは、面白そうかも。 新説ですかね。
ただ、一度やったことが二度目で成功しますかね。 面白い説なので、OKっす! |
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> 諌言説 これは新しいですね。 しかしちょっと無理があるかな・・・というのも一つです。 少なくとも本能寺前後の光秀の動きから考えると信長を討つ気だったという方の確率が高いと思います。
> 謀反を告げた時期 直前という可能性も5月辺りから予め重臣には告げておいたという可能性もありますね。 しかし一般の足軽などへはまさに「直前」で伝えたと思います。 主の主を討つことを知って、足軽達はかなり動揺したとは思いますが・・・その辺りは「徳」でカバーしたのでしょうか・・・
> 歴史の書き換え 勝者が歴史を創る方式で考えると、 羽柴vs明智 羽柴の勝利 羽柴に都合の良いように書き換え 徳川vs羽柴 徳川の勝利 徳川に都合の良いように書き換え
徳川の視点から見ると明智は敵の敵(羽柴を敵として見る場合、及び徳川を信長と切り離して考える場合)である意味、味方ということにも(実際は違いますが)成り得ますし・・・ 豊臣を抑える為には徳川にとって都合の良いように・・・ 豊臣を「悪」にできるように⇒光秀を悪にしない とも考えられますが・・・
しかし謎が多いです。 本能寺の変に関してはまだまだ探求する余地はいくらでもありそうですが・・・ 何かハッキリとた証拠(改竄された疑いも全く無い)物が出てくれば良いのですが不可能でしょうし。
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> > 諌言説 > これは新しいですね。 > しかしちょっと無理があるかな・・・というのも一つです。
そうですね。私も無理があるとは思いますが、面白いんで、いいかも。
光秀は、裏切り者を出さなかったというから、かなり気配りができた人だと思いますよ。 まあ、紹運さんの言うとおり、兵たちは動揺したと思いますが。 |
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> 主の主を討つことを知って、足軽達はかなり動揺したとは思いますが・・・その辺りは「徳」でカバーしたのでしょうか・・・
そも「主の主」への忠義とか義理立てはこの時代には一般的ではありません。 松野重元の逸話などでも分るとおり、この時代においての忠は直接の主までにしかありません。 むしろ主の上にまで義理や忠義を抱く方が稀といってもいいでしょう。 ですので、光秀の子飼い武将とその配下であれば、別段不思議な事もないんですよ。 もちろん、直属でない与力大名達は違いますが。 |
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> 主の主 松野重元の逸話がありましたね。 確かに韋孝寛さんの仰る通りでした。 私が浅学で申し訳ないです・・・
それも踏まえた上で思ったのですがそもそも本能寺の際の明智軍の構成はいかほどのものだったのでしょうか? 織田軍全体としては兵農分離を完全にできてないわけではないですしどちらかというと 「光秀の家臣」よりも「光秀の領土(実質は違いますが)の農民」の方が多かったのでしょうか?(若干本題とズレますがもしかしたらこの辺りから判明することもあるかもしれないので) |
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面白いサイトです。 家臣でも止められない・・ですか。 |
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サイトの方を拝見させて頂きました。
可能性的にはルイス・フロイスの説が最もあると思いますが、 フロイスがどこまで見通せていたのか疑問です。
時と共にひたすら真実は闇に葬られていってしまうような気がします・・・ 研究面でもそろそろ限界が来ると思いますし。 |