皆様の三國志VIIの感想
皆様から応募されたVIIのリプレイ記を掲載しています。
あっくんの場合
最近の三國志VIIのプレイスタイルは力はあるんだけどその力を生かしきれず
結局滅びてしまう君主の元で仕えることに魅力を感じてます。
最初に白羽の矢がたったのは孟獲率いる南蛮軍です。
ここに軍師として降臨したならば天下統一も夢ではない。彼らにかけているのは知恵だ。
そしてアホな君主をなだめつつ、やっとの思いで軍師に取りたてられ、
精兵を集め、訓練をしていざ劉禅を倒す!といった段になった瞬間…
孟獲「野郎ども!出撃だ!」
木鹿大王「行くでがんすー!」
兀突骨「フガーフガー」(なぜか怪物くん調)
軍師:俺「ちょっと待てーい!俺を連れて行けー!(笑)」
12万の大軍は孔明率いる軍団に破れたらしく、2万になって戻ってきた。(泣)
いつか戦場に連れていってもらえる日を夢見て孔明に破れるための軍団を
再編成しています…(笑)
孟優君主への道
CONさんの場合
孟優でプレイしました。207年から始めました。230年まで23年間鍛錬を欠かさずやりました。
207年 230年 アイテム 主な師事武将
武力 56 105(+7) 青龍エンゲツトウ 関羽
知力 23 99(+8) 六韜 孔明、徐庶、カク
政治 22 80(+10) 史記 孔明、カク
魅力 26 85 劉備、孔明
プレイ開始と同じに劉備に仕えました。最初は兵を与えられず、巡察で得た124人の義勇兵だけでした。
にもかかわらず曹操軍が新野に攻めてきた時に出陣要請があり、仕方なくでました。
124人ではなにもできないので、敵の占領した拠点にひたすら居座り士気をさげつづけました。
おかけで敵は全滅し、なんと戦功第一を得ました。
(戦功は倒した兵数のみで評価されるわけではないことが分かりました。
倒した兵数だけでなく、捕らえた武将数、占領した拠点の数、などを総合的に評価して数値を出すようです。)
この要領で敵が攻めてきた時には必ず戦功第一を獲得していたので要約認められ、兵を与えられました。
鍛錬はほぼ毎月やりましたが
とりあえず1番高い武力を鍛え戦場で
活躍できるようになりました。次に戦場で混乱などの計にかからないよう
知力をあげることに専念しました。
徐庶と仲が良かったので最初は彼に教えてもらいましたが、
出陣していろいろな都市に移った結果孔明と同じ都市になったので
彼と親密を深めひたすら教えてもらいました。
孔明は一時曹操に捕まり軍門にくだりましたが、
私(孟優)が推挙して再び劉備の陣営に加わりました。
知力をあげたおかげで自分の所在都市に知力の低い武将ばかりの時は
参軍も任されその内孟優の名は天下に知れ渡る様になり
功績も勢力内で上位に位置する様になりました。
劉備と同じ都市にいる時は太守になるために魅力を鍛えました。
ところが80くらいになっても全然任命してくれないので
政治20代がネックになっているのかなと思い、
今度はひたすら政治の鍛錬をしました。
この時お世話になったのがカクです。彼はもう年齢70超えてました。
しかし、アイテムをかってまで政治を底上げしましたが、
自分より全てのステータスが下回る武将が太守に
任命されることがよくありました。
だから太守はあきらめ知力を限界まであげることにつとめました。
これもカクに教えてもらいましたが、
彼が死ぬ83歳までずっとおしえてもらったので少し恩をかんじてます。
時はすぎ220年ころになると劉備、張飛、関羽ら有力武将も
60歳をこえいつ死んでもおかしくない状態になってきたので、私(孟優)は後継者になるための根回しを始めました。
君主が死にその後継を選ぶ時、勢力内で功績が上位5人の人に投票権が与えられるようです。
そのころの私の功績は勢力内で関羽、夏侯惇についで三位でした。
しかしこの2人はすでに60を超えていたので、私は焦って功績を更にあげることは考えません。
予想通り、227年ころに2人揃って亡くなり、私が勢力内で功績、名声ともにトップになりました。
あとは劉備が死ぬのを待つだけの状態になりましたが、
通常なら功績トップなら問題なく後継に指名されると思いますが、
劉備には劉禅という息子がいたのでこのままいくと彼が指名される可能性がたかいです。
そこで私は、劉備が死んだ時に投票権を得そうな人物と
親密を深めれば息子を差し置いて自分に投票するのではと考えました。
投票するのは功績の上位5人ですから、私も投票できます。
5人で投票するから自分で自分に一票いれれば過半数の
3票得るにはあと2人私に投票してくれればいいのです。
226年の時点で功績の上位5人は私と、ゲンガン、孔明、徐庶、張照でした。
ゲンガン、張照は70歳すぎていたので、彼らは無視していいと考えました。
徐庶とは仕官して以来20年来の仲なので問題なし(のはず)
孔明も私が推挙して劉備陣営に加わって以来非常に仲がいい。
この2人は私が武術会で怪我した時に良く見舞いにきてくれるほど仲がいい。
だがらこの2人順当に私に投票してくれれば私は君主になれるわけです。
しかし、やはり不安は残ります。
果たして息子を差し置いて私に投票してくれるだろうか。
だから念のためもう二人くらいと親密を深め様と思いました。
ゲンガンと張照は劉備が死ぬ前に寿命が来ると思っていたから、
その次に功績のある満寵、関択と仲良くなろうと考え、
劉備もすでに69歳でいつ死んでもおかしくないと思ったから
短期間で親密を深めるために彼ら2人には毎月の様に金を送りました。
そしてついにその年(230年)の9月に劉備が亡くなり、後継者選びの選挙が行われました。
私は自分に投票し、孔明も私に投票し、張照はすでに死んでいたが
ゲンガンはまだ生きていたので彼は劉禅に投票しました。
徐庶は順当に私に、繰り上がりで投票権を得た満寵も予想通り私に投票し4
票を劉備の後をついで秦の皇帝に即位しました。
親密を深めておけば、たとえ元の君主に息子がいても、それを差し置いて投票してくれる事が証明されました。
ちなみに青龍エンゲツトウは関羽の死後劉備から褒美としてもらいました。